思考に巻き込まれないための超簡単な解決法~思考の種類を知ることと瞑想のコツ~
この記事は2020年7月14日、15:55に更新いたしました。
生徒様からのご質問
日常においてもそうですが、たとえば瞑想中や直接伝達を受けている時などのような、何も考えずにただ感じることだけが必要とされているような時、そのような考えてはいけない時でさえ、考えないでいるのは本当に難しいことです。
どうすれば、考えないでいられるのでしょうか?
言葉による伝達
自然発生的に考えがわき起こるということと意図的に考えるということとの違いがわかるようになれば、この問題は解決したも同然です。
”自動的連想(思い浮かぶ)※”と”意図的思考(考える)”との違いを見極めて理解することと言い換えても良いかもしれません。
※. 連想・・・ある想念から、それと関連のある想念が思い浮かんでくること。
『2×2= 』
と
『12345+54321= 』
とを暗算してみれば、その違いがわかるはずです。
つまり、『2×2= 』と見せられると、あなたは考える気がなくとも『4』という数字を思い浮かべたのではないでしょうか?
しかし、それは意図的思考としてあなたが考えたわけではありません。
記憶に基づいた自動的連想として『4』という数字が自然発生的に思い浮かんできたはずです。
『あいうえ 』
この場合は、自動的連想によって『お』という文字が、先の『12345+54321= 』の時のように考えるという努力をすることもなく、自然発生的に思い浮かんできたでしょう?
あなたが自らの意思に基づいて意図的に考えようとして『あいうえ 』から『お』を導き出したわけではないですよね?
言い換えるなら、『お』についてを考えてはいけないと言われても、
『あいうえ 』
と見せられると、小学生以上の健全な人ならば、間違いなく『お』を想い浮かべてしまうことでしょう。
それは、考えているわけではないのです。
『お』という想念が自然と思い浮かんでくるだけなのです。
このような自動的連想は悪いことではなく、むしろ有用かつ必要なことでさえあります。
そうでなければ、掛け算の九九を暗記した意味もありませんよね。
一桁(けた)の掛け算をする時に、毎回毎回、意図的思考によって考えていたのでは、時間もかかりますし、疲れもします(笑)
ですから自動的連想という機能は、人間において必要不可欠な有用な機能なのであります。
余談にはなりますが、テレビのコマーシャルなどにおいて、売りたい商品のCM に好感度の高いタレントを出演させて、その商品やブランドの好感度を上げようとするイメージ戦略なども、人間における自動的連想の機能を逆手にとって利用したものでしょう。
そのような企業とは、したたかなものです。
読んで字の通り、企(たくら)む業(なりわい=仕事)と書きますからね(笑)
このように自然発生的に生じてしまう連想というものはあなたのコントロール外のことであり、それを”私が考える”ということと誤解しなければ問題ではありません。
一方、意図的思考によって(意図的に)考えることは、その時々の必要性に応じて意図して行っていることですから、それも問題ではありません。
人は自動的連想(思い浮かぶ)と意図的思考(考える)とを”ごっちゃ”にしてしまうから混乱してしまうのです。
このように、意図的思考(考える)とは行為でありますが、自動的連想(思う浮かぶ)とは行為ではなく自然現象の部類に入るものなのです。
そして行為ではなく、自然現象であるということは、あなたのコントロール外のものであるということにもなるのです。
考える | 思い浮かぶ |
意図的思考 | 自動的(条件反射的)連想 |
意図的ロジカルシンキング※1、およびロジカルシンキングを含むクリティカルシンキング※2 | 自動的(条件反射的)ロジカルシンキング |
自発的行為 | 自然現象 |
能動的 | 受動的 |
行為者および思考者としての次元 | 観照者としての次元※3 |
※1. ロジカルシンキング:論理的思考
※2. クリティカルシンキング:批判的思考
※3. 思考に巻き込まれている時、および思考に参加している時は、行為者および思考者としての次元に戻っている。
このことをきちんと理解していれば、あなたは瞑想中に「ついつい考えてしまう・・・」こともなくなり、そのようなことで悩み続けることもなくなるでしょう。
大なり小なり、そのような違いをはっきりとわかるようになるためには、それなりの意識状態と、内的状態においてのそれなりのレベルでの自己観察と、その違いを感じるとることのできる感受性、その違いを見極めて理解することのできる知性が必要となります。
ラマナ・マハルシやニサルガダッタ・マハラジなどが、「全ては自然に起こっている(全ては自然現象である)」と、よく言いいますよね。
思考という観点からにおきましても、高次思考センターとつながっている彼らの思考は、ほとんどが自動的思考とでもいうべきものによって行われており、意識状態の違いという観点からにおきましても、彼らはそのような観照者としての観点から物事を観ているからこそ、そのような発言となるわけなのであります。
自動的連想によって生じる思考(想念)とは、窓の外にハチが飛んでいるようなものですから・・・
ですが、そのような窓を閉めることができない人は、まずはヘッドセンターの獲得に取り組むことが良いでしょう。
ヘッドセンターが獲得されれば、あなたがヘッドセンターに留まることで、あなたと想念との間の窓を閉めることができるようになります。
すると、自動的連想によって自然発生的に思い浮かんできた想念というものが、(あなたの意図に関係なく)窓の外からやって来るものであるということが、はっきりとわかるようになることでしょう。
一方、自発的行為として考えるということ、すなわち意図的思考のためには、あなたは思考の次元へと降りていかなければならないために、あなたは一時的にヘッドセンターから離れなければならないということもわかってくることでしょう。
このように内的な空間の観察はとても面白いものですので、ぜひご自身の体験によって実感していただきたいと思います。
「もっと理解を深めたい。」
「”想念が侵入する窓を閉める”という技を身につけたい。」
コメント ( 0 )
トラックバックは利用できません。
この記事へのコメントはありません。